パニック発作が起きやすい場所・状況
パニック発作を発症してから、半年ほどは家の中や、近所しか行動できない生活でした。
かれこれ10年近く、パニック障害と戦い、共存して生活してきましたが、一番ひどかったのは、初期の半年ほどだったと思います。それから何回も、発作に見舞われることはありましたが、最初の衝撃ほどではなかったと思います。
薬を処方してもらっていることがもちろん大きいですが、経験をしてきたことにより、若干は恐怖が薄まった、慣れた、対処の仕方がわかってきたということもあると思います。徐々にではあるものの、確実に良くなっていく病気だといえると思います。
初めは恐怖が植え付けられ、家を出ることもままならない日々が続いていたので、とにかくあの恐怖感を再度思い出すことがないようにすることが大事だと思います。
刷り込みのように恐怖は増大し、トラウマになっていくので、できるだけ発作が起こらない環境、生活をした方がよいと思います。
早く回復したい、出かけたい、社会生活に戻りたいと思う気持ちもあるかもしれませんが、恐怖感が抜けないうちは、パニック発作が起こりそうな場所は避けていくのが安全だと思います。しだいに行動範囲は、少しずつ広がっていくはずです。焦らず自分のペースで、大丈夫と思えるときに行動した方がよい。
下記は、私がパニック発作を起こした場所、状況です。
私の場合という限定的なところもあるかもしれませんが、ある程度、共通の状況・環境でパニック発作は起きやすいと思います。
私の場合、一番最初に起こった場所がディズニーランドということもあり、
・人混み、人が密集した場所、がやがやしている場所
が、とにかくダメでした。
続いてこちらの場所でも発作が起きやすかったです。
・電車、バス
・駅の改札、ホーム
・飛行機
・美容院などの身動きがとれない場所
・締め切った空間、閉所
・高速道路
・エレベーター
・ライブ
・隠れるような場所がない、だだっ広い場所
そして、発作が起こりやすい状況では下記のようなことがありました。
・寝不足
・風邪などの体調不良
・お酒を飲んだあと
・コーヒー・紅茶などのカフェインを摂ったあと
・なんだか不安感のある日、不安な予感のする日
・人の愚痴を聞いているとき、自分のキャパを超える悲しい話を聞いているとき
など。。。
なので、なるべくこのような環境、状況を避けるようにしました。
日常生活において避けられない状況もあるのかもしれませんが、心配なときには快速電車ではなく各駅停車に乗る、具合が悪くなったら帰る、無理に周りに合わせないなど、そういったことも大事だと思います。
私などは、周りのことなどおかまいなしで、ダメそうなときは走ってトイレへ駆け込んだり、突然バイバイして帰ったり、奇妙な行動をすることも、よくありました。
パニック障害であることを打ち明けておいて、それを迷惑に思うような人はあまりいません。もし変な風に思われても、発作を目の前で見せるよりはマシだと思っていました。
飛行機など逃げられない状況のときは、特にきつかったです。薬を飲んで、ただただ発作が収まるのを待つこともありました。
なるべくそのような環境に身をさらさないことは、パニック発作を起こさないためのひとつの方法ではあると思います。
しかし、これでは根本的な解決とはなりません。あくまで、恐怖を増大させないための方法です。
パニック障害は未だに原因不明の病気ではありますが、
やはり改善に大切なキーワードは
「睡眠」「運動」「食事」この3つだと思っております。
こちらについては、またほかで触れていきたいと思います。
パニック障害になったきっかけ
29歳のころ、約11年前に初めてパニック発作が起きました。
それから約10年ほどは病院に通い、薬での治療をずっとしていました。
やっと、薬を全く飲まない生活ができるようになったので、
それまでの経緯や、断薬・改善に効果のあった方法をご紹介していきたいと思います。
少しでもお役に立てれば幸いですが、個人差があることなので、主治医のいうことを守りながら、無理せず、自分のペースで、過ごされるのがよいと思います。
焦る必要は全くなく、いつかは治る病気だと、気楽に、気長に、構えていれば大丈夫だと思います。
そうは言ったものの、はじめてパニック発作が起きた時は本当に焦りました。
忘れもしない、東京ディズニーランドでのことでした。
朝からあまり体調はよくなく、少し風邪気味っぽい、寝不足という感じもありましたが、久しぶりの大好きなディズニーランドでしたので、予定は変更せず、楽しもうとはりきっていました。
いつものことながらとっても混んでいましたが、3月だからか学生さんが多く、とても騒がしいという印象です。
園内を20~30分ほど歩いているうちに、その人込みと騒がしさが、とても耳障りというか、気持ち悪くなってきました。それでも我慢をして歩いていたら、突然動悸が始まり、心臓がバクバクとして、めまいのような、脳がぐるぐるするような、今まで感じたことのない恐怖感に襲われました。とにかく恐怖です。
なんだこれは、という感じで、脳の障害か、重大な病気、死ぬかもしれないとさえ思いました。
立っていることも困難になり、その場にうずくまり、しかし騒音が耳障りで、トイレの方までなんとか行き、少し座って安静にしていたら激しい動機は治まりました。
座って休みながら、なんとか出口の方まで行って、その日はもう帰りました。
一緒に行った彼氏は、何がなんだかよくわからないという感じでしたが、帰りの車ではずっと泣いてしまいました。。
1日経ったら何ともなく、昨日の恐怖は何だったのか、、というぐらいでした。
しかし、バイトへ行くため電車に乗っていたら、またあのときと同じような、ドキドキする感じ、恐怖感が襲ってきました。けれどその日は何とか、やり過ごせました。
次の日も、まあ疲れてたのかな、、という感じで電車に乗ったら、今度は、本当にいても立ってもいられないほどの恐怖感、心臓ばくばくがやってきて、呼吸も苦しくて、次の駅までの3分がとっても長く、やっとの思いで電車を降り、トイレへ駆け込みました。
これはもう電車に乗ることすら恐怖となり、早く家に帰りたくて、家までは結構距離がありましたが、タクシーに乗ることにしました。
しかし、タクシーの中でもバクバクが治まらず、たとえようのない恐怖感がずっと続いていました。タクシーの中、寝ころびながら、ただじっと恐怖感に耐えていたことをよく覚えています。。
家についたころには、心臓は治まり、恐怖感もなくなっていました。。
何だったんだろう。。という感じでしたが、バイトは少し休ませてもらうことにしました。とある日、テレビを見ていたら、お笑い芸人の中川剛がパニック障害だったという番組があり、まさしく症状が一緒だ!と思い、自分はパニック障害なんだと思いました。そのころは今ほど、パニック障害が有名になっていませんでした。なんでもネットで調べるという習慣もないころでした。
しばらくしてから病院に行くことにしましたが、久しぶりに外へ行くのに、また恐怖感が募り、ついにその日は、病院へ行けませんでした。
病院に行くのもままならず、家に引きこもるようになり、ついにはスーパーへ行くことさえも恐怖になるようになりました。人が多くいる場所は、完全に避けるようになりました。
比較的気分が落ち着いていると感じた日に、一緒に住んでいる彼に、車で病院へ連れていってもらうことにしました。診療内科に行って、パニック障害だということになり、薬を処方してもらいました。
セパゾン0,5g、トフラニール5g、頓服でソラナックス0,5gだったと思います。
はじめのうちは薬が効いているのかは、正直よくわかりませんでした。
症状が出るような場所に行くことを避けていましたが、スーパーに買い物へ行くぐらいはできるようになりました。
しかし恐怖感がすっかり消えることはなく、たまにバスに乗ってみても、結局心臓がバクバクしてきて、途中で降りては、歩いて家へ帰るなどもありました。
半年間ほどは、まったく家の近くからは出ず、半引きこもり状態だったと思います。
友達に会うこともできず、泣いてばかりの日々でした。
このままこの病気がよくならなかったらどうしよう、大好きな海外旅行にも行けず、このまま自分はこんな人生で終わるのか...と思ったりしていました。
一緒に住んでいる彼には、私の気持ちはわかってもらえず、怠け者のような感じで思われてたと思います。もともと精神的に弱い感じだったので、そういうのが関係しているのだろうとも思っていました。
しかし、泣いてばかりいても仕方がないと思い、思い立って、荒れていた庭の雑草を取り、掃除をし、芝生を植え、花壇を作り、花を植えたりしていました。今思うとそれは、とても治療の一環として良かったように思います。心も安定してきたし、近所の人が話しかけてくれたり、ということもありました。
パニック障害についての本はあまりなかったため、うつ病に効くようなことをやっていました。
光を浴びる、牛乳を読む、笑うようにする、土いじりをする、リズム運動をする、etc...
劇的な変化はなかったものの、しばらくは大きな発作にはならなかったと思います。
とにかくあの恐怖感を脳に刷り込むことは避けるようにしました。
これは本当にパニック障害初期のころ。。
始まってから半年ぐらいのことですが、このころの症状が一番ひどかったです。
そのあとは徐々によくなっていきました。
私は幸いにも一緒に住んでいる彼氏がいて、毎日働かなくては生きていけない状況ではなかったので、そんな気長な生活ができのだとは思います。
しかし、その1年後ぐらいに、一緒に5年も住んでいたいたその彼と別れることにいたしました。
パニック障害のせいではないけれど、彼との関係はうまくいきませんでした。
冷たくドライな彼でしたが、バスに乗る練習をしていたとき、後ろから車でついてきてくれたことを今でも覚えています。とっても嬉しかったです。
今思えば、彼にはおんぶにだっこで、相当な負担をかけていたことでしょう。